【誕生秘話】開発と営業のマックスの努力が実を結ぶ。
こんにちは、アイデアマン養成コーチの寺ちゃんです。
アイデアマン養成所の喫茶室で、ひらめき先輩、
新入社員のアイちゃん、デアくんの三人が雑談をしています。
デアくん
「喫茶室まで資料を持ち込むなんて、
忙しそうですね、ひらめき先輩」
アイちゃん
「ということは、きょうのお話はお休みですか?」
デアくん
「待てよ。アイちゃん、何か意味がありそうだよ」
ひらめき先輩
「当たり! きょうは、これ。ホッチキスの話です」
アイちゃん
「なるほど」
ひらめき先輩
「日本でホッチキスが最初に発売されたのは、
1903年のことです。伊藤喜商店(現イトーキ)が
輸入販売しました」
デアくん
「このときは、まだ日本で作られていなかった
んですね」
ひらめき先輩
「そうですね。日本で最初に作られたのは、
1911年の『自動紙綴器』、1912年の『A 式紙綴器』です。
『自動紙綴器』は大きいサイズで、『A 式紙綴器』は
ホッチキス社のものと似ていたそうです」
アイちゃん
「そんな昔からあったんですか」
ひらめき先輩
「その頃のホッチキスは卓上型で重く、
会社が購入して社員が共同で使っていたそうです」
デアくん
「共同で使っていた?」
アイちゃん
「まるでコピー機のようですね」
ひらめき先輩
「個人で使う小型のホッチキス『SYC・10』を
マックス社が発売したのは1952年のことです。
商品を構成している部品数もわずか8つ。
機能を綴じることに絞り・・・」
アイちゃん
「部品数も最小限にしてコストを下げた」
ひらめき先輩
「その通りです。しかも、片手に収まるサイズで、
価格は 200 円。当時の物価から見れば、決して
安いとまでは言えないけど、ホッチキスとしては
かなりの低価格だったんです」
デアくん
「じゃ、飛ぶように売れたんでしょうね」
ひらめき先輩
「ところが、そうじゃなかったんです。
初めてみる形で、使い方さえ分からない
という状況だったので、受け入れられる
までに時間も労力もかかったそうです」
アイちゃん
「へぇ、せっかくいい商品を作ったのに。
世の中、甘くないですね」
デアくん
「新しいものって、存在を知ってもらう
だけじゃダメってことですね」
ひらめき先輩
「理解してもらうことが、とても大事ですね。
そこで、マックス社の営業マンはどうしたかと
いうと、商品を自転車に積んで得意先を回り、
商品の説明をしていったそうです」
アイちゃん
「大変だなぁ、当時の人たちは」
ひらめき先輩
「この会社の素晴らしいところは、ユーザーが
求めているものを調査で把握し、製品開発に
活かしていることです。この姿勢は、昔も今も
変わっていないそうです」
デアくん
「消費者ニーズをしっかり把握するという点は、
ヒット商品を出している会社に共通してますね」
ひらめき先輩
「小型のホッチキスは、営業マンの努力の甲斐も
あって、数年のうちに家庭やオフィスに浸透して
いったそうです」
アイちゃん
「よかったですね」
デアくん
「うん、うん。努力は裏切らない」
ひらめき先輩
「1954年に、『SYC・10』 の名前を『MAX・10』に
変更しました。これは、“マックス”というブランド
名を強化する戦略に基づいてのことだったんですが、
それが功を奏して、「マックスをください」と言って
ホッチキスを買いに来る人もいたそうです」
アイちゃん
「すごーい!」
ひらめき先輩
「ちなみに聞くけど、英語圏ではホッチキスと
言わないの、知ってるよね?」
デアくん
「えっ、言わないんですか?」
アイちゃん
「英語では、ステープラーと言いますよね」
ひらめき先輩
「そうです」
デアくん
「だって、ホッチキスって、そもそも発明者の
名前でしょ」
ひらめき先輩
「ホッチキスは、ベンジャミン・バークリー・
ホッチキスが発明したという説もあるけど、
実際は発明していないようです」
デアくん
「へぇ、そうなんですか?」
ひらめき先輩
「16世紀にはステープラーの原型となる機械が
作られていて、19世紀の半ばには現在のものと
同様の構造を持つステープラーも作られていた
らしいんです。ホッチキスについては分からない
ことが多いですね。
はい、きょうのお話はここまで。
読者の皆さんも、最後までお読みいただき感謝します」