【誕生秘話】難題の山を乗り越えた魔法の筆記具。
こんにちは、アイデアマン養成コーチの寺ちゃんです。
アイデアマン養成所の喫茶室で、ひらめき先輩、
新入社員のアイちゃん、デアくんの三人が雑談をしています。
ひらめき先輩
「きょうは、『マジックインキ』の話です」
アイちゃん
「“?”マークのマジックですね」
ひらめき先輩
「そうです。開発のきっかけは、アメリカ産業視察団
の一人だった当時の内田洋行の社長・内田憲民さんが、
アメリカから持ち帰ったフェルトペンだったそうです」
デアくん
「いつ頃の話なんですか?」
ひらめき先輩
「1951年です。寺西化学工業の初代社長・寺西長一
さんは、視察団が開いた展示会で、それがアメリカで
ヒットしている新しい筆記具と知って、内田社長に
新しいペンの研究開発を申し出たそうです」
アイちゃん
「この製品には、お二人が関わっているんですね」
ひらめき先輩
「そうです。ところが、持ち帰った商品を調べると、
輸送中にキャップも容器も壊れ、中身が乾燥していて、
構造もインクの成分も分からなかったらしいです」
デアくん
「えーっ、そりゃ大変だ」
ひらめき先輩
「推測できることは、速乾性の筆記具ということと、
毛細管現象を利用しているということぐらいだった
そうです。分からないことだらけの研究開発で、
それをなんとか乗り切って発売にこぎつけたのが、
開発から3年目の1953年4月でした」
アイちゃん
「結局、ゼロからのスタートと同じだったんですね」
デアくん
「でも、当時としては画期的な商品だから、
たちまち大ヒット商品になったんでしょ?」
ひらめき先輩
「それがあまりにも画期的過ぎて、商品の良さを
理解されず、ぜんぜん売れなかったらしいです。
百貨店などで実演販売しても1日2〜3本しか
買ってもらえなかったそうですよ。価格も当時で
80円、高価だったということもあるとは思うけど」
アイちゃん
「それにしても、1日2〜3本だなんて・・・」
ひらめき先輩
「キャップをし忘れて、すぐに書けなくなって、
クレームがきたりすることも多かったようです」
デアくん
「新しすぎるのも、要注意ですね」
ひらめき先輩
「そうだね。商品の魅力を認識してもらうまでが
大変ですよね。その4年後、2度の値下げもして、
人気漫画家がマジックインキで大きな漫画を描く
パフォーマンスなどをやったりしてメディアに取り
上げられるようになり、徐々に理解されていった
そうです」
アイちゃん
「ああ、よかった」
ひらめき先輩
「急激に売れ出したのは、1957年頃からです。
経済成長の時代が来て、輸送用の梱包が木箱から
段ボール箱に変わったということが、大きな要因の
ようですね」
デアくん
「今では、当たり前のように使ってますね」
アイちゃん
「種類もいっぱい増えて・・・。開発の苦労が
報われましたね」
ひらめき先輩
「はい、きょうのお話はここまで。
読者の皆さんも、最後までお読みいただき感謝します」